東京高等裁判所 昭和61年(く)284号 決定 1987年1月05日
抗告申立人 弁護人
被告人 山本博
弁護人 鈴木勝紀
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は、申立人の弁護人鈴木勝紀名義の抗告申立書記載のとおりであり、これに対する検察官の意見は、検察官古崎克美、同松本正則連名の「弁護人の抗告申立に対する意見書」記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。
所論は、要するに、原決定は検察官が被告人には「虚偽の証拠書類の作出など罪証隠滅工作が顕著に認められる」として保釈取消請求をしたのをそのまま認めて保釈を取り消し、保釈保証金の一部金二〇〇〇万円を没取する旨の決定をしたが、被告人は取引関係者らに契約時の約束を破つて裏金の支払事実を公表することになつたことの了承を求めるとともに破約を陳謝したにすぎず、また関係者に真実を供述して貰うよう依頼することは罪証隠滅工作ではなく、かかる行為まで罪証隠滅ないしはその疑のある行為とされたのでは被告人の防禦権が奪われることになるから、原裁判所の保釈保証金没取決定は不当であつて、その取り消しを求める、というのである。
一、そこで、記録を調査して検討するにあたり、まず所論に対する判断に先立ち、本件保釈保証金の没取決定がなされるまでの経緯をみるに、被告人は、被告会社和泉開発有限会社の代表取締役として同会社の業務全般を統括しているものであるが、被告会社の業務に関し、売上げの一部を除外し、仕入及び造成工事費を架空ないし水増し計上するなどの方法により、昭和五六、五七、五八年度の各所得の一部を秘匿して合計二億円余の法人税をほ脱したものとして、同六〇年九月二六日勾留され、同年一〇月一五日法人税法違反で起訴されたこと、被告人は公判当初は、検察官主張の所得額を全面的に認め、公訴事実については争わなかつたこと、同年一一月一三日弁護人鈴木勝紀から保釈請求がなされ、原裁判所は翌一四日被告人に対し、罪証を隠滅したり、罪証を隠滅すると疑われるような行動をとらないことなどの条件を付したうえ、保釈保証金を四〇〇〇万円として保釈許可決定をしたこと(保釈保証金のうち一〇〇〇万円は弁護人鈴木勝紀の差し出した保証書をもつて代えることを許可された)、被告人は即日保釈保証金を納付して釈放されたこと、被告人は同六一年四月二日の第六回公判に至り、関係取引先一三名に対する総額七五〇〇万円余にのぼる簿外経費の支出、いわゆる裏金の支出を主張して、所得額を争うようになつたこと、同年五月六日検察官から「保釈中の被告人による関係者に対する働きかけや、虚偽の証拠書類の作出など罪証隠滅工作が顕著に認められる」として原裁判所に対し保釈取消請求がなされ(あわせて保釈保証金の全部没取をも請求)、原裁判所は同月一〇日関係者四名に対する事実取調べを実施したうえ同月一三日保釈取消決定をし、被告人は右決定に基づき翌一四日新潟刑務所に収監されたこと、同月二一日弁護人から保釈保証金の取扱いについて意見書が提出され、原裁判所は同年六月三〇日被告人に対する事実取調べを実施したうえ同年七月八日「保釈保証金四〇〇〇万円中、保証書による金一〇〇〇万円を除いた金三〇〇〇万円の中金二〇〇〇万円は没取する」との決定をしたことがそれぞれ認められる。これによれば、原決定は被告人が保釈を取り消され、しかも収監された後になされたものであることが明らかである。
ところで、保釈保証金は、被告人の出頭を確保し、罪証に不当な影響を及ぼし事実認定を誤らせる行動を防止し、裁判所が円滑・迅速に適正な審理・判決をするため、これを納付させることによつて保釈中の被告人に心理的強制を与え、逃亡・証拠隠滅をはかる行為など刑訴法九六条一項各号の行為をさせないようにするとともに、有罪判決後の刑の執行をも担保するものであり、これらの目的が達せられれば将来不要となつて還付される反面、被告人が逃亡・罪証隠滅その他保釈取消事由に該当する行為に出た場合は、その制裁として没取される性質のものである。そして、裁判所は、保釈を取り消す場合には、そこに至つた事情、保釈保証金納付者側の事情などを考慮したうえ、その裁量により保証金の全部又は一部を没取することができるところ(刑訴法九六条二項)、実務上、時に、身柄確保等の必要上、保釈取消は急いで行なう必要があるが、保釈保証金の没取については、その必要性はなく、むしろ保釈取消事由となつた事実関係の外に、保釈保証金納付者側の事情などについてさらに調査したうえ決定する方が相当と思料される場合もある。なお、保釈保証金の没取決定は、保釈保証金納付者に対してあらかじめ告知・弁解・防禦の機会を与えないでなされても違憲とは認められないとされているけれども(最高裁判所大法廷昭和四三年六月一二日決定・刑集二二巻六号四六二頁)、これらの者に対しあらかじめ告知・弁解等の機会を与えることがのぞましいといい得る。かようにして、被告人の身柄確保の要請と、保釈保証金の没取について告知・弁解等の機会を与えたり、あるいは事実取調べをしたうえで慎重に判断したいという裁判体の要請を充足するために、保釈取消決定と保釈保証金の没取決定とを別の機会にすることの可否、及びそれがいつまで可能であるかが問題となる。
そこで、検討するに、(1) 刑訴法九六条二項は、保釈取消事由があれば保釈を取り消すだけでなく保釈保証金の没取もすることができることを定めており、刑訴規則九一条一項二号は、単に没取決定がない場合の保釈保証金の還付事由を定めたものであつて、いずれも没取決定をする期限まで規定しているものとはいい得ず、現行法上保釈取消と別の機会に保釈保証金を没取することや、収監後に没取することを禁じている趣旨が明確にあらわれている規定は見あたらない。(2) 保釈保証金の没取には、保釈条件に違反して取消事由に該当する行為をしたことに対する制裁の意味もあるところ、保釈取消事由を発生させてしまつた以上はそれにより没取の要件は充足され、その後被告人が収監されたからといつて、右没取の要件や制裁を科する必要性が消滅するということはないのであるから、収監という事実の発生は没取の可否になんら影響を及ぼすものではなく、収監後は絶対に没取することができないとすることに合理性を見いだすことはできない。(3) 刑訴規則九一条は、昭和二六年最高裁判所規則一五号により現行規則のように改正されたのであるが、同条一項二号の規定は、最高裁判所第一小法廷昭和二五年三月三〇日決定(刑集四巻三号四五七頁)が、刑訴法九六条三項の規定上、「保釈中の被告人に対し禁こ以上の刑に処する判決の宣告があつた場合でも、被告人が収監され又は該判決確定後執行のため呼出を受け出頭した後でなければ、保釈保証金を返還する必要はない」としたことを契機として、保釈が取り消され又は効力を失う場合の保釈保証金還付請求権の発生を被告人の収監にかからしめることが相当であるとして改正された経緯があり(最高裁判所刑事裁判資料六三号五六頁)、右最高裁決定は判決確定後に収監された場合の保釈保証金の還付に関するものであつたことに照らし、刑訴規則九一条一項二号は刑訴法三四三条の場合のみならず、同法九六条三項の場合の収監についても適用されることが予定されているものと解されるところ、右最高裁決定及び最高裁判所第一小法廷昭和五六年九月二二日決定(刑集三五巻六号六七五頁)の事案は、いずれも実刑判決が確定し収監された後の保釈保証金の没取が可能なことを前提としたものであり、東京高等裁判所昭和四八年一〇月八日決定(刑裁月報五巻一〇号一三八二頁)、大阪高裁昭和五一年一月二八日決定(高刑集二九巻一号二四頁)は、いずれもこれを肯認すべきことを明らかにしている。そして、刑訴規則九一条一項二号中「保釈が取り消された」場合と、「保釈が効力を失つた」場合とで、収監後の保釈保証金の没取の可否を区別すべき合理的理由はみあたらない。(4) 前同規則は被告人が収監されたことにより保釈保証金の還付請求権が発生することを規定しているけれども、それが無条件かつ確定的に発生することまで規定したとは必ずしも解されず、前記の諸点を考慮に入れると、同規定は、保釈保証金が還付されるまでは没取が可能であり、没取の裁判があれば、その限度で還付請求権は消滅し、残余の没取されなかつた保釈保証金を還付することを予定しているものと解することができる。そして、保釈保証金の還付請求権は被告人の収監と同時に発生するから、保釈保証金の納付者はその時以後還付請求権を行使してその返還を求め得ることになり、他方右請求を受けた裁判所としては速やかに没取するかどうかを調査検討したうえ、没取しなかつた保釈保証金を還付することになるのであつて、そのため若干の時間を要すること、そして、没取の裁判があれば保釈保証金の全部若しくは一部の還付を受けられないこともあり得るけれども、それは前記のような保釈保証金の性質上当然のことと考えられる。(5) 被告人の収監後は保釈保証金の没取決定ができなくなるとすると、被告人の弁解を聞いたうえで没取決定をするという運用はできないうえ、保釈を取り消しておいたうえで、保釈保証金の没取についての事実取調べや保釈保証金納付者に告知・弁解・防禦の機会を与えたうえで没取決定をしようとしても、右の手続中に被告人が収監されてしまえば保証金は没取できなくなつてしまうということになり、裁判所はいつ被告人が収監されるかわからないという不安定な状態で事実取調べ等を実施せざるを得ないことになる。これを避けようとすれば、保釈取消と同時に一応保釈金を全部没取しておいたうえで、抗告による再度の考案の規定(刑訴法四二三条二項)により更正決定をするという変則的運用をせざるを得ない。以上の理由により、保釈保証金の没取決定は、保釈取消決定と必ずしも同時にしなければならないものではなく、別の機会にすることができるとともに、それは被告人の収監の前後を問わないのであつて、保釈を許可された者が保釈を取り消され収監された後においても刑訴法九六条二項により保釈保証金の没取をすることができると解するのが相当である。
そうすると、原裁判所が被告人の収監後に本件没取決定を行なつているということのみによつて、原決定に訴訟手続上の違法があるとはいえない。
二、そこで、所論につき記録を調査して検討するに、刑訴法が「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」を勾留理由・保釈取消事由とした趣旨は、被告人の身体を拘束し、共犯者や参考人から隔離することにより、被告人が書証や物証を毀滅・ねつ造・隠匿し、あるいは関係人らに対して不当な影響を及ぼしたりすることを防止し、もつて事案の真相究明のための障害を除去することにあるから、保釈された被告人が防禦権の行使として自己に有利な証拠を収集しようとする権利も、右と抵触しない限度で行使すべきものである。本件において、被告人は原審公判の当初は公訴事実を争わず、保釈された後の第六回公判で簿外経費の支出、いわゆる裏金の支出を主張して所得額を争うに至つたが、裏金の支出があつたかどうか、その金額・授受の日時・いきさつ等を明らかにする証拠としては、取引の当事者・仲介者・立会人等の関係者の供述と当事者間で取り交わされた領収書などの書証が重要なものとなるところ、裏金の支払はごく限られた関係者間で秘密裡になされるものであることからして関係者が口裏をあわせやすいこと、裏金授受に関する領収書であるとされている書証類は、国税局の査察や捜査段階ではまだ出されていなかつたもので、原審第六回公判廷で被告人が裏金支払の事実を主張し、その裏付け証拠として突如提出されたものであることからして、右領収書等の記載内容がはたして真実を反映しているものかどうか、裏金授受の当時に作成されたものかどうかなど右領収書等に対する証拠評価についてはより慎重な吟味を要する状況にある。しかるところ、被告人は、保釈後、(1) 小林仁市に対し、昭和六〇年一一月末ごろから再三にわたり、「あんた個人に金を払つた領収書があるから、この金を受け取つたことにしてもらいたい」「裏金を払つたのを受け取つたことにしてもらいたい」「一切あんたに迷惑をかけないから、なんとしても受け取つたことにして下さい」などと執拗に頼み込み、同人が検察庁へ出頭する前日にも同人に電話し、領収書が三通あるとして、その作成日付・金額を告げ、「検察庁へ行つたらそのように話してくれ」などと懇請し、(2) 阿部勇に対し、同六一年二月ころ、日付がはつきりしないので領収書を書き直して貰いたい旨依頼し、同五七年三月一二日付で三五〇万円を受領した旨の領収書を作成させてこれを受領し、(3) 株式会社平興産代表取締役齋藤文誉に対し、同六〇年暮れ又は同六一年一月初旬ころ、裏金を支払つたことにして貰いたい旨を依頼したが、これら被告人の行為は、いずれも罪証を隠滅すると疑うに足りる行為に該当するものといわざるを得ない。現に、右阿部勇は原裁判所の同年五月一〇日の事実取調べの冒頭で、右領収書は作成日付のとおり同五七年三月一二日に作成して被告会社に渡したものであり、被告会社に売つた土地の代金の裏金分として三五〇万円を実際に貰つたと供述したが、同人の検察官に対する同六一年四月七日付供述調書とのくい違いを追及されるや、検察庁で話したことが本当のことであり、それをその通り裁判所で話すと被告人に迷惑をかけると思つて、嘘を言つてしまつたと供述するところ、右供述調書においては、「今年の二月ころ山本社長から頼まれ実際には私が三五〇万円の現金を昭和五七年の三月に山本から受領したことがないのに、そのような事実があつたという形にするためあの領収書を作つたことがある」として、提示された三五〇万円の領収書は、「本年二月ころ山本が来て書いてくれといつたので書いてやつたものであり、私が昭和五七年三月に和泉開発から三五〇万円を受領した事実も、その領収書を書いたわけでもない」と供述し、また原審第九回公判廷では証人として、今年になつてから前の領収書の日付がはつきりしていないので書き直してくれと頼まれたので、前の領収書を見て書き直した、古い方の領収書はどうしたか覚えていないと述べる一方、三五〇万円の裏金授受については弁護人から聞かれれば肯定し、検察官から聞かれれば否定するといつた矛盾した供述態度をとつているところ、右のような阿部勇の混乱した供述に照らし被告人が保釈後阿部勇に対し領収書の書き替えを依頼するなどの働きかけをしたことによる影響を否定し難い。さらに取引先の鷲尾惣治は、同六一年四月四日ころ、被告会社の社員徳長健次から「検察庁に呼ばれたら昭和五六年の契約で三〇〇万円の裏金を貰つたことにしてくれ」「あんたの領収書があるのだから」といわれ、記憶になかつたが、証拠物件があるというのだから、自分の記憶がどうであれ、なにをいつてもはじまらないという気がしたので検察庁に出頭した際には具体的記憶が全くないまま三〇〇万円貰つたのかなあなどといつたというのであり、取引先の小熊英雄は、同月三日ころ、取引の仲介をした阿部一郎から、同五九年の春ころ裏金として二八八万円を被告会社から貰つたことにしてくれ、税金がかかつてきたら被告会社の方で払つてくれるからと依頼され、右のような事実はなかつたが、検察官から取調べを受けた当初右依頼の通り裏金を受取つたと嘘の供述をしたというのであつて、徳長健次・阿部一郎らが全く独自の判断で取引先と右のような交渉を持つたとはにわかに信じ難く、被告人の関与のもとに行われたのではないかとの疑いが残るのである。被告人は、裏金支払は真実であり、真実を供述してくれるよう依頼したにすぎないと弁解するけれども、取引の相手方の中には裏金の授受を明確に否定する者、あいまいな供述をする者、明確な記憶をもたない者、金額や授受日時について被告人の主張とことなる供述をする者など区区であり、被告人自身としては真実であると思つていたにしても、このような者らに対し自己の主張するところに添うような供述をしてくれるよう依頼したり、旧日付のまま領収書を書き替えるよう依頼する行為は、罪証隠滅すると疑うに足りる行為に該当するといわねばならない。そして、その後検察官が被告人主張の裏金支払の一部を認容して訴因変更を行ない、また弁護人が右小熊英雄に対する裏金支払の主張を撤回した事実があるからといつて、右の被告人の各行為が罪証を隠滅すると疑うに足りる行為と認定されることになんらの消長を及ぼすものではない。
したがつて、原裁判所が被告人に弁解の機会を与えたうえで保釈保証金の半額二〇〇〇万円を没取したことは相当であり、その裁量権の行使を誤つたものとは認められない。
よつて、刑訴法四二六条一項により、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 朝岡智幸 裁判官 小田健司)